肺がんの父をもっていた管理人です。がん発覚から死にいたるまでを書きました(2008年2月1日死亡)。また脳梗塞の母のことも少し書いていましたが、2008年9月2日、母に大きな変化がありました。そして、2009年6月25日亡くなりました。簡単ですが、その間のことも書きました。
* 目次 *
2006年10月21日に開設しました。癌の発覚は2005年8月のため、最初の頃は、以前のことを思い出しながら思いつくままに書きました。
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    ●父のこと●
  1. 肺癌発覚(2006/10/21)
  2. 肺癌の告知(2006/10/21)
  3. 肺癌の治療と結果(2006/10/22)
  4. 退院後の通院(2006/10/23)
  5. 肺癌の自覚症状(2006/10/24)
  6. 癌は生活習慣病(2006/10/25)
  7. 癌の治療法(2006/10/31)
  8. 放射線治療装置(リニアック)(2006/11/1)
  9. 抗がん剤の副作用(2006/11/3)
  10. 医師のこと(2006/11/4)
  11. 癌患者と健康食品(2006/11/10)
  12. タバコの影響(2006/11/21)
  13. 癌の漢方治療(2006/11/22)
  14. 癌活動再開?(2007/4/19)
  15. 再び入院(2007/5/29)
  16. 2度目の入院の経過(2007/6/14)
  17. 2度目の退院後(2007/6/26)
  18. 食道へ転移(2007/9/15)
  19. 3度目の入院(2007/9/22)
  20. 胃ろう選択(2007/9/30)
  21. 胃ろう順調(2007/10/11)
  22. 抗癌剤治療再開(2007/10/20)
  23. 一難去ってまた一難(2007/10/31)
  24. 熱が続く(2007/11/4)
  25. 一応退院(2007/11/7)
  26. 少し回復(2007/11/10)
  27. しゃっくりしゃっくり(2007/11/13)
  28. 死ぬまでしゃっくり!(2007/11/17)
  29. 救急車で4度目の入院(2007/11/21)
  30. 一安心(2007/11/22)
  31. 錯綜状態?(2007/11/23)
  32. 昼間も錯綜状態?!(2007/11/24)
  33. 今日は静か(2007/11/25)
  34. 認知症?(2007/11/26)
  35. セカンドオピニオンを聞こう(2007/11/27)
  36. 退院は無理?(2007/11/28)
  37. 今後の進め方(2007/11/29)
  38. 要介護認定の面接(2007/11/30)
  39. 応接間が病室に(2007/12/1)
  40. 緩和ケア病棟予約(2007/12/3)
  41. セカンドオピニオン(2007/12/4)
  42. 犬に会いたい(2007/12/6)
  43. 生き様は死に様?(2007/12/7)
  44. 毎日幻想?(2007/12/8)
  45. 夜中に起きる(2007/12/10)
  46. アユ釣り?(2007/12/11)
  47. 正常なときは無口(2007/12/12)
  48. 写真集(2007/12/14)
  49. 実習生(2007/12/15)
  50. 緩和ケア外来へ(2007/12/17)
  51. 父がシャワー好きに?(2007/12/18)
  52. 年末年始外泊に(2007/12/19)
  53. 要介護5に認定(2007/12/20)
  54. 年末に一旦退院(2007/12/21)
  55. 毎日言っていること(2007/12/22)
  56. 会社の人たちに知れ渡る(2007/12/24)
  57. ベッド搬入(2007/12/25)
  58. 年末年始の打ち合わせ(2007/12/26)
  59. 4度目の退院(2007/12/27)
  60. 退院2日目(2007/12/28)
  61. 自力で尿が出た!(2007/12/30)
  62. 犬が胃ろうをなめた!(2007/12/31)
  63. 孫はわかる!(2008/1/1)
  64. 痰の吸入器レンタル(2008/1/2)
  65. 明日入院(2008/1/3)
  66. 5度目の入院(2008/1/4)
  67. 主のいない部屋(2008/1/5)
  68. 1日中幻覚?(2008/1/6)
  69. 自分はどこにいる?(2008/1/7)
  70. 転院日決定(2008/1/8)
  71. 転院前日(2008/1/10)
  72. 緩和ケア病棟へ入院(2008/1/11)
  73. ペットOK!(2008/1/12)
  74. 水分控える?(2008/1/13)
  75. 相変わらず咳と痰(2008/1/14)
  76. また電話(2008/1/15)
  77. 今月中もたない・・・(2008/1/16)
  78. 死に急ぐことなかれ(2008/1/17)
  79. 熱が頻繁に(2008/1/18)
  80. アミーが面会(2008/1/19)
  81. 見舞い客がたくさん(2008/1/20)
  82. ますます弱った(2008/1/22)
  83. 水が欲しい(2008/1/23)
  84. 痰の始末ができない(2008/1/24)
  85. ほとんど寝ている(2008/1/25)
  86. 今週も週末を迎えられた(2008/1/26)
  87. もう危ない・・・(2008/1/28)
  88. まだもちそう(2008/1/29)
  89. 昏睡状態に(2008/1/30)
  90. 今日が最期?(2008/1/31)
  91. とうとう死亡(2008/2/1)
    ●母のこと●
  1. 要介護度
  2. 介護サービスの利用料金
  3. 介護保険を利用したきっかけ
  4. 要介護3から2へ(笑い話)
  5. 多発性脳梗塞
  6. パーキンソン病
  7. バリアフリー(屋内)
  8. バリアフリー(屋外)
  9. 下血
  10. 骨折
  11. 感覚が鈍る
  12. ペットの影響
  13. 認知症?
  14. サプリメント
  15. 介護認定
  16. 母の調子が・・・
  17. 再び骨折(2008/9/2)
  18. 手術(2008/9/11)
  19. 介護老人保険施設キャンセル待ち(2008/11/5)
  20. 介護老人保健施設へ入所(2008/12/5)
  21. 施設で新年を迎えた(2009/1/1)
  22. 父の一周忌へ出席(2009/1/25)
  23. 妄想がひどい?(2009/2/21)
  24. 再び要介護3に(2009/3/8)
  25. 栄養状態が悪い(2009/3/11)
  26. 呼吸困難で緊急入院(2009/3/13)
  27. 一般病棟へ(2009/3/15)
  28. 胸膜炎だった(2009/3/19)
  29. 胸痛が出てきた(2009/3/20)
  30. 水は抜かない(2009/3/23)
  31. 安定した状態に(2009/4/14)
  32. 転院先を依頼する(2009/4/15)
  33. 食事がレベルアップ(2009/4/22)
  34. 悪化、治療方針転換(2009/4/25)
  35. 水は一部無事抜けた(2009/4/27)
  36. 食事がさらにレベルアップ(2009/5/8)
  37. 転院決定(2009/5/19)
  38. 転院日決定(2009/5/20)
  39. 転院、またまた悪化!(2009/5/26)
  40. ひとまずちょっと安心(2009/6/1)
  41. 危ない!そして回復(2009/6/7)
  42. やはりまた炎症反応が(2009/6/8)
  43. また心配(2009/6/12)
  44. 食事が食べられない(2009/6/20)
  45. 生命力が強い?!(2009/6/22)
  46. また危ない・・・(2009/6/25)
  47. とうとう死亡(2009/6/25)

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さきほどの記事は、午後叔父夫婦が来たので母を頼んで、私は一旦家へ帰ったときに書いたものだ。家で用事を済ませ、食事も済ませ、夕方6時過ぎに再び病院へ行った。今夜亡くなると思ったが、夜中になるだろうと思って、上着など用意して行った。母の様子はさきほどと変わらない。血圧は少し上がっているようだ。それならば、また持ち直してくれるかもしれないという期待が起きた。しかし、右肺がすでに機能停止している状況を考えるとそれは無理かとも思った。叔父夫婦には一旦帰宅してもらっていて、妹と甥2人がいた。3人に食事に行ってもらった。その間に血圧がまた下がり始めた。でも、まだしばらくいいような気がしていた。3人が戻って、少し経ってからだった。脈拍が落ちてきたのでもう危ない、最後に会わせたい人はもういないかと看護師さんが言いに来た。叔父に電話した。すでに弱くなっている呼吸がさらに弱くなった。どんどん脈拍が落ちていく。19時40分過ぎくらい、脈拍は50を切った。そしてちょっと大きく息を吐いたあと、もう息をしなくなった。その時点ではまだ脈はあった。先に呼吸が止まってしまった。もちろん脈拍は、40、30、と落ちていき、とうとう0になった。医師が呼ばれた。19時57分死亡が確認された。ちょっとあっけなかった。私と妹、甥(母からいうと孫)2人の4人が最後を見守った。叔父はちょっと間に合わなかった。こんなに早いなら、帰ってもらわなかったが、しかたがない。

79才と5ケ月の一生だった。63才若さで多発性脳梗塞が発症してからは、長い間体調の悪い日々が続き、辛い晩年だったと思う。どうかやすらかに・・・・・。


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23日(火)と24日(水)の夕方までは、さしたる変化はなかった。呼びかければ応じたし、手を握ってと言うと握った。脈拍数、血圧、血液中の酸素値なども変化はなかった。尿は1日わずか100ccしかなかった。

しかし、24日の夕方19時頃、最高血圧が80を切った。結局今日(25日)になってもあがらない。それどころか徐々に落ちていっている。最高血圧70台、最低血圧40台だ。また、今日は朝8時頃病院へ行ったが、呼びかけに応じない。手を握ってと言っても握り返さない。尿はほとんど出ていない。苦しそうだ。目を少し開けて、口を開けて、ハアハアと言っている。昨日までベッドの手すりをつかんでいたのに(これは母のくせだ。家にいるときもそうだった。手すりをつかんでいないと落ちていってしまうような感じがするらしい)、今日は両手ともだらんとしたままだ。口が渇いて上あごに痰がこびりついている。酸素マスクから水分が出ているのだが、それでも口は渇くそうだ。ガーゼを水に湿らせてこびりついた痰を少し取った。昨日までは水にしめらせたガーゼを口に持っていくと吸ったが今日はそれもしない。何をする気力も体力もないようだ。

午後1時、最高血圧は68にまでなった。聴診器で音を聞いても右肺は音がしないそうだ。もう機能が停止していて、左肺だけでがんばって呼吸しているそうだ。もう厳しいね。医師は言った。でも寿命はわからないから、とも言った。今まで2回も蘇生したから今度もそうなって欲しいと祈るばかりだ。

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いつもどおり朝食の介助に行ったが、朝食がまったく食べられなかった。薬すら飲めなかった。薬は粉状にしてあり、ヨーグルトに混ぜ合わせてスプーンで食べさせて(飲ませて?)いた。(これは6月14日(日)からこうなった。それまでは、なんとか錠剤のまま飲んでいた。)昨日までは、ゼリーやヨーグルトだけでも少し食べながら、薬入りヨーグルトを時折食べさせていた。それが今朝はできなかった。昼になんとか薬だけ飲ませられたそうだ(昼は看護師さんにお願いしている)。

そして夕食時、やはりまった何も受け付けない。それどころか「苦しい」「苦しい」を連発し始めた。「苦しい」だけではなく「もう逝かせて」「もういい」「頼む」「逝かせて」そんな言葉が「苦しい」の間に混じるようになった。ナースコールした。看護師長さんともう1人の看護師さんがすぐ来てくれた。血液中の酸素値が下がっていた。かなり痰が溜まっていたので、まず痰を吸引し、それから鼻にあててあった酸素の管をマスクに替えて、酸素濃度を上げた。それからも「苦しい」「逝かせて」などが続いた。少し前までは痰をとるとすぐに酸素値が上がったが、今はそれにも時間がかかる。聞いているのも辛い。私は涙をこらえきれなくなった。しばらたって、ようやく呼吸が落ち着いたそれと同時に「苦しい」を言わなくなった。酸素値が上がった。とりあえず一安心。病院をあとにした。

ところが、夜9時半ごろ看護師さんから電話がかかってきた。心電図、血圧、酸素値などはいいが、呼吸がかなり弱い。先生が内視鏡のついた痰の吸引機で、肺の中の痰をできる限り取ったが、それでもよくならない。今夜危ないかもしれない、と言う。病院へ行き、母を見て驚いた。夕方と全然違った。目を半ば開いてハアハアとあごで呼吸していた。でもとても弱い呼吸だ。もう目はうつろだ。苦しいという元気もなさそうだった。まるで、亡くなる日の父のようだった。3時間経っただけでこれだけ変わってしまうのだ。これはもう危ない!そう思った。医師が来てくれた。「これだけ呼吸が弱いとね・・・・できるだけのことはしましたが、(どうなっていくか)わからないです。」皆が声をかけるが反応はない。本当にもうダメなのか・・・・・祈るような気持ちで、1時間2時間と過ぎていった。そして日付が変わった頃、呼吸が落ち着いてきた。声をかけたらうなづくようになった。よかった!

母は結局生命力が強いのか。6月7日に引き続き、「もうダメ」状態をとりあえず脱した。しかし、6月7日のときよりも確実にさらに弱った。

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先週の金曜日(記事を書いた)の後、食欲は少しあったり、なかったりしていたが、今週の木曜日からは、ほとんど食べ物を食べられなくなった。ミキサー食をほんのひと口ふた口食べるだけだ。あとはヨーグルトを少しと栄養補給のゼリーをいくらか。点滴で栄養を摂っているからいいいが、できるだけ食べてほしい。食べられるうちはいいと思えるが、食べられなくなった今は、もう心配だ。また、よく眠っているようになった。目を覚ましているときは、妄想のようなことばかりを話す。

見舞い客が来てくれたときは、わかって話をしたそうだが、後から、誰が来たか、どんな話をしたかなどを聞くと、他のひとや他の事とごちゃまぜになっていて、わけのわからないことを言うだけだった。「Iさんが来た」と言った。でもIさんは、その前日に来ている。来るはずがない。「Nさん?」と聞くと「そうそうNさんだった」という。「それともKさん?」「そうそうKさん」と言う。「帽子でわかった」と言う。「帽子かぶってたの?」と聞くと、「そう、それで、病院に掃除に来ているから、それでわかった。」と言う。認知症も出ているから仕方がない。

炎症反応は、抗生物質が効いて収まってきた。しかし、だからといって、よくなるわけではない。あとは寿命だ。

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