肺がんの父をもっていた管理人です。がん発覚から死にいたるまでを書きました(2008年2月1日死亡)。また脳梗塞の母のことも少し書いていましたが、2008年9月2日、母に大きな変化がありました。そして、2009年6月25日亡くなりました。簡単ですが、その間のことも書きました。
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午前中に区役所へ、やはり介護申請をすると、電話した。介護度を判定する面接が一旦は12月11日となったが、すぐに電話がかかり、たまたま今日他の人の面接で父の入院している病院へ行くので、ついでにできると言ってきた。それで、突然今日2時からとなった。面接してから認定されるまでにひと月かかるので、少しでも早い方がいい。面接では、父は今の状態をありのままに表現してくれた。人の言っていることがわかるときもあれば、わからないときもある、そんな状態をわかってもらえた。「お名前は?」「生年月日は?」という質問にはなんとか答えることができた。「今私が挨拶する前は、何をしていましたか?」という質問には、なんと「キンツバ食べとった」?!10月から胃ろうになって物を食べることもできないのに。面接中も痰が出ても自分でティッシュに手を伸ばすこともなく垂れ流しで、ほとんどうつむいていた。人の助けを借りなければ起き上がることもできないことも、実際にわかってもらえた。幻覚が見られることや、夜中に苦しさのあまり起き上がって服に着替え始めたことなどを話した。おそらく、要介護4が出るのではないかと思う。要介護認定されるのなら重い方がいい。より多くのサービスを受けることができるし、使える予算も多い。
面接の後、車椅子にすわったままでしばらくいるかと思ってそのままにしておいた。「ひも用意しといた。」と突然言ったので、「あっ、そう。用意しておいてくれたの?」と応じてみたら、とうなづいた。幻覚?単なる夢?やはりおかしい・・・・・。すぐにコックリコックリとやりかけた。「もう眠いの?」と聞くと、うなづくので、ナースコールで看護師さんを呼び寝かせた。すぐに眠っていった。

おとなしく寝ているので、私は病院の外へ出て、すべての緩和ケア病棟のある病院へ電話で問い合わせをした。1件だけ、以前に1月9日に外来の予約をしてあった。それから1~2ケ月の待ちになるが、そのときは、そんなに早くなくてもいいと思ったものだが、今となっては、それでは遅い。もっと早く外来予約できるところはないかと探した。名古屋市内は、予約を入れてあるところ以外は、1月20日過ぎしか予約がとれないところばかりだ。日進市の愛知国際病院と、弥冨市の海南病院は、12月半ばでとれる。父の実の妹であるおばが弥冨市に近い。それで弥富市にすることにした。本当は、津の藤田保健衛生大学の七栗サナトリウムが一番いい。設備もスタッフも、緩和ケアに対する考え方も、すべてにおいて理想的だ。しかも、少しだけ待てば、とりあえず一般病棟へ入れて、その後必要に応じて緩和ケア病棟へ入れてくれるという。緩和ケア病棟も患者さんの様態によっては一時的に帰宅してもらうこともあるので、空き状況は流動的だそうだ。普通はそんなふうに緩和ケアを考えていない。緩和ケア病棟は、もう治療をあきらめて死を迎える人だけが入院して、しかも一旦入ったら死ぬまで出ないと考えている。なんとも惜しいが、津では遠すぎる。週1回も行けないかもしれないので、断念した。月曜日に海南病院へ予約を入れよう。

ケアマネージャーから、介護ベッドや痰の吸引機や、入浴サービスの件などの連絡が来た。少しずつ父の在宅介護及び緩和ケア病棟への入院へ向けて進んでいる。言い換えれば、死へと向かって進んでいる。

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セカンドオピニオンの返事が来た。希望通り12月4日午後でOKだった。

区役所の介護保険課から電話があった。介護申請が進んでいる。退院が延びるかもしれなくなったので、ということで保留にした。ケアマネージャーへも電話して、同様なことを言った。

病院から、呼吸器センターへ移るという連絡が入った。退院が延びるなと思った。午後病院へ。医師と今後のことを話した。最終的には緩和ケア病棟へ入れた方がいいと言われた。私もそう思っていた。癌の終末を在宅でみるなんてできない。ただ、緩和ケア病棟はどこも満室で1~2ヶ月の待ちになる。すぐに申し込んで、部屋が空くまでの間、在宅診療・在宅看護・在宅介護などでしばらくしのぐことになった。(在宅診療については、医師が知り合いの医師を紹介してくれるそうだ。)そのためには、すぐに介護申請をして、認定をもらうことが必要だ。在宅介護の準備が整うまでしばらく父を預かってくれることになった。もう半年ももたないのではないかと言われた。

医師に、セカンドオピニオンを聞くので、紹介状とレントゲンフィルムを用意してほしいとお願いした。誰がと聞かれたので、名古屋医療センターの坂(さか)先生と言ったら、有名な先生ですね、と言われた。

今日は3時間くらい病院にいるようにしたのに、父はずっと寝ていた。最近は眠ることが多くなったようだ。

帰宅後ケアマネージャーへ電話し、今日の医師との話を伝え、話を進めてもらうことにした。

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セカンドオピニオン申込書をFAXした上で電話して、着信確認と、第一希望は12月4日(火)とお願いした。

今日は午後私は仕事へ行って、病院へ行かなかった。妹が病院へ行って、父の様子に驚いたと夜電話してきた。誰がきたのか、まったくわからないし、問いかけに反応もしなかったそうだ。痰が出ても自分で拭こうともせずに垂れ流しているし、トイレも管でとってもらっているし、胃ろうのチューブの差込もできない。こんな状態では30日の退院は無理だと言った。病棟担当のソーシャルワーカーから、本当に退院して大丈夫かと言われたようだ。今は母も調子が悪くて、トイレ一つでもとても世話がかかる状態だ。確かに2人の世話は無理だろう。

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今日も病院へ。よく寝ていたので、また、今日は30分くらいしかおれないので、少しいて帰った。看護師さんが、午前中車椅子で散歩させてくれたそうだ。よかった。今日も医師と話した。CTを撮ったが、肺もリンパ節も食道も、がんの大きさ自体は10月のときとそれほど変わっていないそうだ。でも悪化しているそうだ。こういうこともあると言われた。大きさと悪化とに関係がないのなら、今まで診察の度にレントゲンを撮って、大きさが変っていないから大丈夫ですね、と言われていたのは何だったのだろう?納得できない。セカンドオピニオンを聞こうと思った。
「肺がん」のセカンドオピニオンをやっているのは、名古屋は3病院だ。独立行政法人国立病院機構名古屋医療センターと、中京病院と、名古屋市立大学病院だ。担当の医師を検索してみた。名古屋医療センターの先生が一番著名そうだった。肺がんの外来治療についての論文も書いている。名古屋医療センターのセカンドオピニオンの申込書をダウンロードして、記入した。
母の訪問介護に来てくれているケアマネージャーが、父の介護申請を代行してくれるというので頼んだ。

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土日は病院へ行けなかったので、今日は少し長くいようと思い、午後2~5時病院にいた。その間、父は起きていたが、ボーっとしていた。時々あらぬことを言った。「パッキンはきたか?」「日興證券の用紙はちゃんと書かないかんぞ。」「これは(ベッドのことらしい)日赤へ貸したのか?」 などと突然言い出した。認知症が出てきたようだ。ゴソゴソ動き出して、点滴を引き抜こうとした。これで最後の点滴(先ほど看護師さんに言われた)だから、がまんして、と、やめさせた。担当の医師が来てくれて、点滴をはずしてくれた。ベッドから降りようとし出した。看護師さんを呼んで降ろしてもらった。歩きたがったがフラフラで歩けない。車椅子を持ってきてくれた。廊下を散歩した。「庭園だよ。わかる?」「前に外から行ったところだろ?」正常な会話もできた。
医師と話した。もうこれ以上の治療はできないと言われた。認知症のような症状が現れているのは、病院にいて自由にならないストレスから来ていると思う、日常生活に戻すのが一番いいと思う、今週末に退院する、と言われた。

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妹が夜中に病院へ行ったら、静かによく寝ていた。しばらく様子を見て、泊まらずに帰るというメールが来た。それならそれでいい。よかった。落ち着いてくれたようだ。

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朝5時半、電話が鳴り響いた。病院!!と急いで出る。なんと父本人からだった!携帯でかけてきた。「殺されそうだ。助けてくれ。A先生にそっちから言って、なんとかしてくれ。・・・・ひとりだけだし。・・・・」夕べの病院からの電話を思い出した。苦しいのと淋しいのと両方だろう。「こちらへ言っても何もできないから、ナースコールして看護師さんに言って。」「看護師には言っとるけど、何もしてくれん。」そこで、看護師さんが来たようだ。物音がした。電話からの声が変った。「だいじょうぶです。痰が多くて苦しいのと、呼吸が苦しいので。」私は「わかりました。お願いします。それから、1人だけなので、淋しいんです。早く大部屋にしてください。」と言っておいた。個室は父には合わない。看護師さんが「ご家族の方、今日何時にみえますか?」と聞くので、「できるだけ早く行くように言っておきます。」それで電話を切った。私は仕事で今日は病院へは行けなかった。妹に電話して、状況を伝えた。妹も用事ですぐにはいけないので、とりあえず、高校生の甥が1人先に病院へ行ってくれることになった。だれかそばにいれば安心するだろうと思った。ところが、甥ではだめだったようだ。なんどもベッドから降りようとして、そのたびに看護師さんに取り押さえられるということを繰り返したらしい。自分で点滴やら、コードやらをはずしてしまったようだ。妹が家にいるときに、看護師さんから電話があったそうだ。部屋はナースステーションの中に変える。とにかくすぐに来てください。ということで妹が行ったようだ。妹が行ってからは少し落ち着いたようだ。夜は私が泊まろうと思ったら、妹が泊まってくれると言ったので任せた。


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朝私が病院へ行き、午後は妹と甥2人が行き、見舞い客が2人あった。昼間は問題なく過ぎた。ところが夜になって、病院から電話がかかってきた。何事かと思ったら、父が錯綜状態で、ベッドから降りようとしている、と言うのだ。それで少し動くと検知するセンサーを付けさせてもらう、もしあまり頻繁にこういうことが起こったら、ナースステーション内の病室に移動するという電話だった。病状には変化はないそうだ。むしろそんなことができるくらいだから元気だ。回復してきたので、体を動かしたくなったのだろう。あるいは苦し紛れに体を動かしたのかもしれない。

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朝病院へ行った。病院から夜電話がなかったので、何事もなかったと思うが、昨日入院してからもかなり血痰が出ていたし、40度の高熱があったので心配だった。熱が平熱に戻っていた。そして本人の意識がはっきりしていたので安心した。顔色も悪くなかった。血痰は血の色が薄くはなっていたがまだ出ていた。私の顔を見るなり「いったい、どうなっちゃっただ?」と言った。昨日のことを話しても、まったく覚えていなかった。救急車に乗ったことも覚えていなかった。あれだけ血痰を吐き続けたら、相当な苦痛だったはずだ。あまりにも苦痛が大きいと意識が薄れて感覚が麻痺するが、それだったのだろう。それと高熱のせいもあっただろう。「またしばらく病院だね。」と言うと「いやだな。」と言った。「しばらく」と言ってはみたが、家へ戻れるのかどうか危ういと思った。もう治る見込みはなく、逆に進行し続けている肺癌だ。体にはたくさんのコードがつながれ、オムツをされ、ベッドから降りてはいけないと言われている。病状も苦痛だが、この身体的状態も苦痛だ。いつのまにかしゃっくりは止まっていた。長時間に渡り激しく喉から痰を吐いていたからだろう。逆に言えば、激しく吐いていないとしゃっくりは出てくる。どちらかしかない現状だ。どちらも苦痛だ。午後には血痰もなくなった。痰は相変わらずよく吐くが血の色はなくなった。とりあえず、ほっと胸をなでおろした。

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今週の月曜日からはさらに動作がおかしい。何をやるにも介助なしではできない。そのため、私は会社にも行けない。そばに付いている時間は長時間に渡っている。要介護2の母よりひどくなった。それでも、なんとか自分で懸命に立ち上がろうとか、着替えようとか、トイレへ行こうとかしている。胃ろうに食事を入れる作業は、もうまったく自分ではできない。チューブを差し込むのさえうまくやれなくなった。ここ10日間ほどのこの悪化の速度はなんだ?こんなに急速に体力が衰えるものなのか?相当な疲労感があるらしく、テレビを見る気力も無くなったようだ。
しゃっくりは相変わらず出たり止まったりだが、ここ3日ほどは、妙に咳と痰が激しくなっていた。睡眠薬を服用しても、しゃっくりで起きるよりも、激しい咳で起きることのほうが多くなっていた。相当苦しそうだった。それでも、何分か何十分かでは一旦止まっていた。昨日は血痰が2回出た。木曜日に外来なので、そのときに先生に言えばいいかと思っていた。そして今日午後2時くらいから咳と痰が止まらなくなった。4時には、痰が血痰に変わった。そしたらそれ以後は血痰ばかりになった。これはまずいと思い、病院へ電話して主治医につないでもらった。主治医は薬を渡すだけでもいいと言ったが、夜中に何か起こると怖いので、入院させて治療して欲しいとこちらから言った。では、ということで、動かせる状態ではないので、救急車となった。連れて行ってよかった。救急車の中でも血痰を吐き続け、電話したときには37.7度だった熱が、病院へ行ったときには40度にもなっていた。すぐに止血と解熱の点滴が始まった。本人の意識も電話したころにははっきりしていたのに、病院では、朦朧としているようだった。癌が急に悪化したようで、もう末期に近いと言われた。とりあえず救急病棟に入った。

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しゃっくりは、止まっているときもあるが、出ている時間の方が長い。しゃっくりが腫瘍の位置が原因となると、どんな対策をしても腫瘍が小さくならない限り収まらない。抗がん剤が効いてくれることを祈るしかなさそうだ。でもその抗癌剤も効く可能性はわずか10%と言われている。ということは、死ぬまでしゃっくりに苦しめられ続ける可能性が90%ということか?!そんな・・・・・・なんとかならないのか!!
さらに動作が遅くなった。いったいどうなったのだろう?歩くのも本当に一足ずつ引きずるようにしている。


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昨日から、またしゃっくりが止まらなくなってしまった。せっかく一旦止まっていたのに。昨日は夜も眠れなかった。今朝パニック状態で、なんとかしてくれ、救急車で病院へ運んでくれと言った。眠れないのと絶え間ないしゃっくりとでは当然だろう。主治医へ電話して、病院へ睡眠対策としゃっくり対策を薬をもらいにいった。医師からは一種類の睡眠薬で効かないときは、睡眠導入剤と睡眠薬など複数の種類の薬を混ぜるようにと言われた。なるほど。それまでは同じものを複数回服用していた。確かに複数種類の方がそれぞれ効果が違うので相乗作用でよさそうだ。それで、なんとか今夜は眠れた。
体の動きが少しずつ悪くなっている。立ち上がる速度、歩く速度、手に何か持つ動作などどれをとっても超スローモーだ。食事を胃ろうへ入れる動作もだんだん遅くぎこちなくなっている。手伝う人がいなければ、かろうじて、なんとか自力でやってはいるが、人がそばに居ればやってほしいと言うようになった。トイレも付いていってやらないと倒れそうで危ない。夜中は自分で尿瓶でやっている。

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退院後3日。少しはよくなっている。味噌汁をスプーンですくって少し、ほんの少しだが、飲んだ。「おいしい」と言った。味がわかるようだ。ボーっとしているのはしゃっくりの薬による副作用かもしれない。眠気、ふらつき、脱力感などがあるようだ。でも、なんとか自分でお風呂に入った。脚が痛くて体が曲げられないので、足元などタオルで拭くのを手伝っただけだ。食事も自分で胃ろうへ入れている。使った器具類を洗ってやるだけでいい。


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今日退院した。一応熱は収まったが、普通ならまだ入院している状態だ。本人が希望したのと、最近の精神的肉体的状況は、入院によるストレスが原因との主治医の判断があったためだ。せっかく収まったしゃっくりが昨日からまた復活している。筋肉痛で歩行が困難だ。なにをやる気力も起きずにボーっとしている。家で落ち着けば、それらは治るのでは?という希望のもとに退院となった。治ってくれるといいが。杖をつきながら、なんとか家の中は歩いている。

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4日ほど前、しゃっくりと引き換えに出てきた熱は、まだ続いている。38度台になったり、平熱に戻ったりを繰り返している。抗生物質が効かなくなって、種類を変えては投与しているようだ。悪寒がして、寒い寒いを繰り返していたかと思えば、少し経つと今度は暑くなる。体がふらついているし、ボーっとしている。薬付けのせい?咀嚼をひと月以上もほとんどしていないのも、脳や体に悪影響を与えているのではないかと思う。


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