肺がんの父をもっていた管理人です。がん発覚から死にいたるまでを書きました(2008年2月1日死亡)。また脳梗塞の母のことも少し書いていましたが、2008年9月2日、母に大きな変化がありました。そして、2009年6月25日亡くなりました。簡単ですが、その間のことも書きました。
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大晦日。妹が29日、30日と夜来て、父の部屋に泊まってくれた。午前中、妹に留守番を頼み買い物へ行った。小さなおせち料理など買ってきた。父は飲食ができないので母と2人分だけ。母はとても小食だし、私もそれほど食べる方ではない。作るのも面倒なので、何かないかと思って、いつも行くフードセンターへ行ったら、ちょうどいい量のミニおせちがあった。

妹がいる間はよかったが、妹が帰った後は、ずっと父を見ているわけにもいかない。それでも10分に一回くらいは部屋を覗くようにしていた。あるとき、よく寝ているな思って、次に行くと、父が部屋の外に座り込んでいる!「どうしたの?こんな寒いところにいたら風邪引くよ!」と言って、部屋に入れようとしたが動かない。這わせてなんとか部屋に戻した。ベッドのてすりなどにつかまってなんとか2~3歩、それも倒れそうになりながら、ひきずるようにしか歩けない人が、どうしてこんなに無理をして部屋の外に出たのだろう?理由を聞いたら、何かがあったので確かめようとした、と言った。どうやらまた幻覚らしい。

病院では、車椅子に乗せるのにも抱きかかえて乗せて、ほとんど1歩も歩けなかったが、家へ来てからは、ベッドの横においてあるポータブルのトイレまで、ベッドの手すりにつかまってなんとか歩く。フラフラで、今にも尻餅をついてしまいそうだが。

今日は、訪問看護師さんとヘルパーさんが来た。看護師さんには、血圧など測ってもらって健康状態を診てもらい、オラルケアをしてもらった。痰がかなり多いことを言ったら、訪問看護ステーションにも痰の吸引機があって、1日100円でレンタルできると言う。必要な場合には1月2日の朝9時までに電話することになった。ヘルパーさんには体を拭いてもらって、足浴もしてもらった。ヘルパーさんのときに、ひげがかなりのびていることに気がついた。看護師さんの時に気がつけば剃ってもらえたが、ヘルパーさんは、髭剃りや爪切りはできない。(医療行為になるそうだ。)病院で実習生の方が「自分で剃られましたよ。」と言っていたのを思い出して、電気かみそりを渡した。自分でゾリゾリやり始めた。長年やっていることなので、自然に手が動くのだ。少し経ったら、「まあ、こんなもんだろう。」と言った。でもまだまだたくさん剃り残している。私がやりかけたが、どうもうまくできない。そこへちょうど叔父がやってきたので、代わってやってもらった。やはり普段やっているので、うまい。ひげも剃ってさっぱりした。

水分補給のために、昼食と夕食の間に、胃ろうからお湯を入れている。アミーはそのとき、父のそばにへばりついていて、私がやるのを興味深そうにじっと見ていた。入れ終わって片付けて、ふと見ると、アミーのお尻としっぽが父のお腹のあたりに見える。なにやっているんだろう?と見たら、なんと胃ろうをなめていた!!かじったらたいへんだ!と急いでアミーを抱きかかえた。

年越しそばの汁をガーゼに含ませて、父の口に入れた。少しだけでも年越しそばを味わってもらおうと思った。父は「おいしい。食べたい。」と言った。「もう少し入れる?」と聞いたら、怒ったようにきっぱり「もういい。」食べたくなってしまうのだ。実際には食べられないから、尚のこと辛くなるのだ。しまった、余計なことをした、と思った。父が必死に押さえ込んでいた、食べ物に対する欲求を目覚めさせてしまったようだ。

10時くらい、紅白を見ているときに、もう寝ると言い出した。大晦日でもいつもと変わらない。今日は大晦日だよ、わかる?と朝聞いたときには、何も答えなかった。昨日は、突然「今日はクリスマスだな」と言った。間違ってはいるが、わずか5日のずれだ。父の中で時間はちゃんと過ぎているのだ。


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退院後4日目。昨晩は妹が泊まりに来てくれて、父の部屋で寝てくれた。咳と痰とでほとんど寝なかったそうだ。そのためか、昼間よく寝た。一旦寝ると3時間ほどぐっすりだ。目を覚ましたとき、いつもおかしい。幻覚が現れていることもあれば、自分がどこにいるのかわからないこともある。例えば、「みんな、ほれそこで仕事やっとるから俺もいそいでやらないかん。」と妙にあせっていた。「どんな仕事?」と聞くと「わからん。」と言う。「夢見ていたんだよ。仕事はしなくていいよ。」と私が言うと「ほうか?」と言って安心した様子になる。また、「外へ行って○○しないかん(聞き取れない)。」と言って、部屋から出ようとしたので、「外へ行かなくてもいいよ。なんにもしなくていいから、そんなあせらなくていいよ。」というと、やはり安心したようだ。

今日は、久しぶりに自力で尿が出た。朝は導尿したが、夕方6時に便をしたときにいっしょにかなり出た。よかった。11月20日以来だ。そのときは、支えて立って、かろうじてできた。救急車で入院する前日の夜だった。入院後は、ずっと導尿だった。夜の導尿はやめた。これからも自力で出るといいが。

今日の午後、激しい咳と痰がなんども連続した。あまり連続すると呼吸がしにくくなる。酸素吸入が必要になることもある。どの時点でそうなるのかよくわからないが。もし呼吸困難になったら、すぐに救急車を呼んで病院へ行かないといけない。どうしよう?と思ったところで止まった。よかった。


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家へ来て1日目の夜中、1時頃見に行ったときはよく寝ていた。そろそろ寝ようと思って、2時半頃見に行ったら、今まさにベッドから降りようとしていた。目を覚ましたのだ。看護師さんから、夜中2時過ぎに起きることが多いと聞いていたが、やはりそうだ。「まだ夜中だよ。今から私もここで寝るからね。」というと安心したような顔になった。家にいる間は誰かが寝るようにしたほうがよさそうだ。真っ暗な中目覚めて一人ぽっちだと寂しくなるようだ。ベッドの横にホットカーペットのようだが、もっとフワフワのお昼寝マットが敷いてあるので、そこに寝た。アミーもいっしょだった。アミーは父のベッドに入っても、すぐに降りてしまうことが多い。狭くて窮屈のようだ。父はそれからなかなか寝付けないようだった。咳がよく聞こえたし、ごそごそしていた。痰もよく出た。何度かティッシュでとってやった。5時半頃にようやく静かな寝息になった。5時半は私は起きる時間だ。私はほとんど寝なかった。

午前中、9時半にヘルパーさんが来るまでは、いつもの母との2人の生活に加えて、父の食事の世話(胃ろうに液体の食事を入れる)、便をさせる、導尿するなどが加わり瞬く間に過ぎた。父の場合は、その他に、声をかけたり、痰をとったり、スプレーで口を潤してやったりなど、小さいことがいろいろあって、トータルするとずいぶん時間がかかる。ヘルパーさんが来たときには父は寝ていたので、先に母の入浴をやってもらおうと思ったら母が嫌がったので、父を起して先に父の清拭をやってもらった。ヘルパーさんは、父が家にいる間は、2時間半~3時間にしてもらって、母の入浴と父の清拭、それから掃除をお願いしてある。ヘルパーさんが母の入浴をやっているときにお寺の住職がみえた。今日は祖母の月命日だ。父は住職と親しかった。お寺の写真クラブに所属していたし、お寺の行事に参加もしていた。住職は父が退院したことも知ってみえた。父に会わせた。父はそのとき、椅子に座らせてあった。住職に声をかけてもらうと、わけのわからないことを言い出した。住職がえっ?という様子をされたので、「幻想が出ていますので、気になさらずに。」と言っておいた。お寺さんがお経をあげている間は私もいっしょに仏間(座敷)にいた。その後父の様子を見たら、おとなしく先ほど椅子に座らせたままだったので、ヘルパーさんに時々父をのぞいて欲しいと頼み、急ぎ買い物へ行った。12時頃妹が来てくれた。昼食の後片付けと、父の昼食をやってもらっている間に、私は夕食の準備をした。あっという間に1時20分になり、私は仕事へ。

1時半には訪問看護の初日だった。私はいないので、妹に頼んでいった。初日なのでいろいろな説明とオラルケアと胃ろうの消毒などをやっていたようだ。24時間体制をとってくれている。いつでも電話で困ったときは相談できるので助かる。

父は夜も便をした。妹がいるときにも1回して、今日は3回もした。尿も朝晩2回の導尿で通常通りの量だ。夜は「今夜も夜中になったら私がここへ来て寝るからね。」と最初から言っておいた。安心して眠ったようだ。

あわただしく退院後2日目が過ぎた。父の調子は、肺癌末期の患者としてはそれほど悪くない。


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今朝は、9時半ころ病院へ行った。止血剤のおかげで、血痰は止まっていた。よかった。最後の導尿の訓練と、清拭をやった。清拭はヘルパーさんにお願いしていあるが、私がやることもあるかもしれないので、先日見ていて今日実際にやってみた。11時に介護タクシーがくるはずだったが、かなり早く来た。ドライバーがストレッチャーとともに病室まで来てくれた。ストレッチャーで運ばれながら父は一旦退院となった。(前回は車椅子で、その前までは自分で歩けた。)

家へ来たら、さっそくアミーに相手になっていた。そのために退院したようなものだ。十分アミーと遊んで欲しい。母にもひと月ぶり会った。母はなんとか応接間(父の部屋)まで歩いた。もちろん手を引いてやってだが。父は少し経つと眠そうになった。なんとか2時まで起しておいて、胃ろうに食事を入れてから寝せた。3時間ぐっすり眠った。夜中に目を覚まさなきゃいいが。今日は便が2回も出たし、尿も問題ない。痰もちゃんと出せている。相変わらず変なことを口走っているかと思えば、正常になったりしてはいるが。夜、初めて一人だけで導尿をやった。うまくいった。夜中は時々様子を見に行こう。ケアマネージャーと訪問介護ステーションの人が電話くれた。無事に退院できたか、現在の状態はどうかと心配してくれた。アミーは普段母の部屋で寝ているが、今日はどうしても父の部屋へ行きたがった。父に異変があったら知らせてくれるといいが。退院1日目は無事に終わった。


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昨日近所の内科医へ行って看護師さんと話したときに、彼女の父親の話になった。やはり肺癌で、昨年末家へ帰そうと思って準備を整えてタクシーも予約したのに、退院の前日の夜中に急変して亡くなったと言った。そのとき私は、そんなこともありえますねと言って、本当にそんなことになったら、悲しいだろうなと思った。帰宅してから、「タクシー」が急に私の頭の中でクローズアップされた。そうだ!ストレッチャーか車椅子かで乗れるタクシーがあるはずだ。それを予約すればいいんだ!それまでは、まったくそんなことを考えていなかった。妹の車に乗せて帰るつもりだった。でも、今の状態の父をうまく家の中へ運べるだろうかと心配はしていた。それで今朝、ネットで検索した。「介護タクシー 名古屋」とキーワードを打ち込んだら、いくつか出てきた。家から近いところへ電話した。明日は予約がいっぱいだった。他に「ホームルームジャパン」という介護タクシー専門のようなところがあった。全国規模のようだ。「介護保険の指定業者」とあった。そして「病院から自宅までは介護保険が適用される」とあるではないか。そうか、介護保険が使えるんだ!電話したら、明日OKだった。さっそくストレッチャーを予約して、介護保険を使いたいと言ったら、ケアマネージャーがいいと言ったら使えると言われた。すぐケアマネージャーへ電話して、ケアマネージャーからその業者へ電話してもらった。ケアマネージャーはすぐに介護プランを作って対応してくれた。とても親身になってくれるケアマネージャーなので本当に助かる。昨日作ったばかりの介護プランをまた直さなきゃならないのに、快くやってくれた。

夕方、病院へ。今日は、ケアマネージャー、訪問看護ステーションの責任者、病院の師長さんと私とで明日からの自宅での父のケア全般についての打ち合わせだった。他に看護師さんがもう一人いて、主治医も来てくれた。訪問診療が年末年始はfullで受けられないため、訪問看護ステーションは何かあったときのことを心配していた。緊急時は病院の緊急外来へ電話の上、救急車で病院へ。その際、何月何日まで入院していたと言うように言われた。緊急時までにはいたらないが、医師の指示を仰ぎたいときは、今入院している病棟のナースステーションへ電話して、そこから主治医へ連絡をとってくれることになった。よかった。このことを訪問看護ステーションは一番心配していた。父の病状の説明が主治医からあり、またケアマネージャーと訪問看護ステーションへ、今父が受けている看護、治療についての詳細を書いたものが渡された。かなり書いてある。病院はこういうこともしてくれるのか、と思った。大変な作業だと思う。みんなでの打ち合わせの後は、ケアマネージャーと訪問看護ステーションの人が父に会いたいと言ったので、いっしょに病室へ行った。父は寝ていた。12月28日、31日、1月2日の3回看護師さんが来てくれることになった。そのときにオラルケアと導尿もしてもらうことにした。訪問看護は、医療保険が適用されるか介護保険が適用されるかは、状況によって変わる。父の「末期がん」は、医療保険になるそうだ。打ち合わせの前に父に会っていたが、今日からまた血痰がけっこう出ていて、止血剤が投与されていた。本当に明日退院してだいじょうぶだろうか?心配になった。主治医も師長さんも、血痰が出ていなくても、いつどうなるかはわからない状況だから、とりあえず予定通り退院して、以前のように出血が激しくなったら緊急入院すればいいと言う。もともとリスクを背負ってでも家で少しは過ごさせたいと言ったのはこちらだ。1月4日(かどうかはっきりしないが)に病院へもう一度入院するまで、なんとか何事もなく過ぎて欲しい。


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朝10時病院へ。3度目の導尿。ジェルのつけ方が悪くてチューブが途中までしか入らずやりなおした。もう1度27日に訓練できるので、今度は完璧にやらなくては。父は夕べ2時頃に目を覚ましてしまい、それから眠れなかったそうだ。そのためか、導尿をして、それから体を拭いてもらったら、眠り始めた。それでも時々目を開けて、話をした。今日は石の展示会の準備をしている幻想に陥っていたようで、石の搬入のことや会場費のことなど心配していた。

午後からはベッドの搬入だった。母と同じベッドだ。ただ、寝たきりということで、マットの素材を母のよりも弾力性のあるものにしてくれた。ベッドが入ったとたんにアミーがベッドに飛び乗った。コロコロころがってうれしそうだった。シーツを敷き、上半身部分にはビニール素材のシーツをさらに敷いた。枕と掛け布団を置いた。ポータブルトイレやら、椅子やらの位置を少し直した。部屋はこれで完成。

年末年始で訪問診療の医師がいないということで、ずっと家族全員でかかりつけの近所の内科医に、父が家にいる間だけ主治医になってもらえないか頼みに行ったが、年末年始は出かけることが多いので、緊急時に対応できないと断られた。しかたがない。




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妹と甥が来てくれて、父の部屋の棚の位置を変えて、テレビ・ビデオデッキをセットした。朝カーテンを洗った。カーテンのセットや掃除などを妹に頼み、昼ごろ私は病院へ。導尿をやった。今日はまったくわけのわからないことをよくしゃべった。

今朝父が昔いっしょの会社だった人から電話があった。父の具合はどうかと心配してくれていた。父の夢を見たそうで、それで不安になったそうだ。状態を話したら、すぐに会いに行かないと会えなくなると思ったようで、すぐに病院へ行ってくれた。父は、その人が来たことはわかったようだった。夜その人から電話があり、あまりにもやつれているので驚いたと言った。これで父の会社関係の人たちには、その人から父の状態が伝わるだろう。

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父が毎日のように言うことがある。1つは、「アミー」「アミーは元気か」「アミーを連れてきたか」など、犬のアミーに会いたいのだ。もう1つは、「のどが渇いた」「水が欲しい」など、飲み物を欲しがること。どちらもかなえてやれない。犬は病院へ連れて行けないし、食道がふさがりかけているので、飲み物を飲ませることはできない。少しだけなら飲めることもあるが、ほとんどは食道を通りきることなく、戻してしまう。その時に激しい咳を誘発し、血痰が出る場合もある。結局本人が苦しむので、そう話して、スプレーで口を潤すだけにしている。かわいそうだがしかたがない。
アミーには、来週退院すれば会える。10日間だけになってしまうが。再入院したらもっと会いたくなって、かえってかわいそうかも。


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父のベッドを入れる部屋を片付けかけた。ベッドを置く位置に、大きな棚がある。棚には石がたくさん置いてある。とりあえず、その棚を置く場所を片付けた。あとは、棚の石を包んで箱に入れて、棚を移動させればいい。

外泊は、2泊3日をひと月一回しかできないそうだ。それで結局、一旦退院して年始に再入院することになった。退院なので、介護保険が使える。ケアマネージャーへ電話して、その旨話した。25日(火)に介護保険契約を結ぶことになった。介護保険が使えれば、訪問看護も利用できる。訪問看護は看護師さんに家へ来てもらうというものだ。看護師さんは、導尿や、痰の吸引などの医療行為ができるし、父の様子を見てもらえるので安心できる。本当は、訪問診療(医師に家へきてもらうというもの)もお願いしたいが、年末年始はもう手一杯で無理だそうだ。訪問看護ステーションの人が、患者本人を交えて打ち合わせをしたいということで、26日(水)に病院で、ケアマネージャー、婦長さんもいっしょに打ち合わせることになった。明日から3連休なので、ギリギリの日程になる。

今日は実習生が最後だった。本当によくしてもらった。実習生がいた3週間であきらかに父の状態は改善した。顔つきも穏やかになったし、自分でベッドにそれほど時間をかけずに起き上がれるようにもなった。よく世話をしてもらうと違うのだ。来年4月、彼女はきっといい看護師さんになるだろう。もうその頃父は生きていないだろう。父がお世話になることはもうないが、父と同じように喜ぶ患者さんが大勢いるだろう。

医療費無料のなぞが解けた。11月21日~30日の請求書は、食事代の3,120円のみになっていたのだ。今日、婦長さんが医事課へ聞いてくださったら、1年間に払う限度額が決まっており、それを超えたので無料とのことだった。そんな限度額があったなんて知らなかった。ということは12月も無料だ。助かる。こちらは助かるが、病院か国かどこかが負担しているのだ。これでいいのだろうか?実際にかかった金額だから、患者に負担させればいいのではないか?せめて一定の所得以上の患者には。これも医療費の問題の一つだと思う。

夜11時前に、病院から電話があった。また父が床に降りたそうだ。痰も床に吐いたそうだ。ナースステーションの近くのベッドに夜は移動するがいいかという電話だった。困ったものだ。また迷惑をかけている。


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父の要介護度が出た。最も重い要介護5だった。あらゆる点で人の助けを必要とする、まったくの寝たきりだ。要介護4かと予測していたので、ちょっと驚いた。さっそくケアマネージャーへ連絡した。すぐに介護保険証を取りに来た。今日区役所へ行って、業者欄の記入を済ませるという。行動が早い。いつどうなるのかはわからないので、準備しておくに越したことはないが、結局父は介護保険を使わずに終わってしまいそうだ。

母が要介護3と認定されたとき、こんなふうに排泄も自分でできずにオムツして歩けなくて、これで要介護3なら、要介護5なんていったいどんな人なんだろう?と思ったことを思い出した。まさかあの元気な父が要介護5になろうとは。

今朝9時半頃病院へ行ったら、ちょうど今から体重を測りに行くところだからいっしょに行きましょうと実習生の方に言われて、行った。車椅子のままで測れる体重測定器があるのだ。人工透析をやる部屋の入り口だった。透析をやる患者さんが次々に来て、体重を測っていた。透析の前に体重測定がいるようだ。人口透析の部屋は広い。何十床というベッドがある。こんなにも透析を必要とする人がいるのに驚いた。父の体重は、53.2kgだった。病気が発覚する前、ピーク時は68kgだったことを思うと、やせたものだ。でも身長からすると、53.2kgなら、それほどやせてはいない。今、癌がどんどん栄養をとっている。ちゃんと食べても癌にとられてしまう。それでがん患者はやせていくのだ。

その後、看護師さんから、導尿のやり方を教わり、実際私がやってみた。問題なくできた。他に触ってからそのままカテーテルに触ってしまいそうになった。カテーテルに触るときは、必ず消毒してから、という点に気をつけないといけない。

導尿後すぐに父は眠った。今朝はとても眠そうだった。夜中の2時に目覚めて、それから眠っていなかったそうだ。ちょっとしゃっくりが出ていた。今日はあまり話はしなかった。

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ケアマネージャーと話した。やはり外泊では介護保険は使えないそうだ。では退院にしようと思ったが、そうすると正月休み明けからがたいへんなので、外泊にして、介護保険を使わずにケアをお願いすることにした。ベッドは無料で使わせてもらえるのがあるそうなので、それをお願いした。それからヘルパーさんに母の介護のついでに父の体の清拭をやってもらうことにした。実費なので高いが、わずか4回だ。外泊期間は12月27日~1月6日。1月6日の夜に病院へ戻る。それからE病院が空くまで、今の病院にいる。

今朝8時前に父から電話があった。「犬のえさを配っとるで、はよ取りに来い。」時間からして、おそらく朝食を配っているのだろう。それがぼんやりと父の目に入ったのだろう。次に「なんでみんなは犬に会えて、俺は会えんだ。」犬が幻覚で見えるようだ。「俺、苦して死んでまいそうだ。」「足あげましょうね。」という看護師さんの声。そうか、どうやらベッドから落ちかかっているようだ。「看護師さん来たでしょう?もうだいじょうぶだよね。」と私が言うと、「ようないわ(「よくない」の名古屋弁)。看護師なんかなんもしてくれんわ。はよ、すぐ来てくれ。」「看護師さんに電話替わって。」と言うと、素直に電話を渡したようだ。「すいません。錯綜しているようですが、よろしくお願いします。」とお願いした。

夕方行ったときには、朝の電話のことを言っても覚えていなかった。今日は実習生がいないので、ずっとナースセンターにいたようだった。「明日は実習生の人が来てくれるからね。またシャワーやってもらってね。」と言ったら、うなづいていた。


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今日はびっくりすることがあった。家だと冬は3日に1回しか風呂に入らない父が、自分から今日もシャワーやって欲しいと言ったのだ!すごく気持ちがいいらしい。家族がいるときは、できるだけ家族と話していた方がいいから、私が帰ってから、と実習生の人が言ってくれたのに、早くやって欲しいと言い出した。それで私もいっしょにシャワー室へ行った。シャワー用の車椅子があってそれに座ったままやれるのだ。シャワー室は広い。寝たままの人もやれる広さがとってあるそうだ。暖房設備もある。私が中で立っていても私にお湯がかからないほどの広さだ。今日は看護学校の先生も実習生の様子を見に来ていていっしょに手伝ってくれていた。足をお湯に入れて、足浴しながら体を洗ってもらっていた。そりゃ、気持ちがいいだろう。終わってからも、父は、こんな気持ちいいことは初めてだと何度も言っていた。

主治医に、27日退院を言った。もちろん了承してくれた。訪問診療の医師を紹介してもらうことになった。婦長さんが、退院ではなく外泊にもできるから、そのほうがいいんじゃないかと言ってくれた。外泊していてそのまま家でもよさそうなら、そのまま退院もできるそうだ。そうすることにした。ならば安心だ。いつでも病院へ戻れる。

家へ引き取るのに問題がある。父は今尿が出ないので、朝10時と夜10時1日2回導尿をしているそうだ。それを私がやらなければならない。もしやれなければ、訪問看護をお願いして、看護師さんにやってもらわないといけない。今日実習生がやるのを見ていた。明後日、私がやってみることになった。

帰宅後、ケアマネージャーへ電話した。ところが、「外泊」だと介護保険が使えないかもしれないそうだ。調べてくれることになった。


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主治医の紹介状とCT画像データを持って、E病院の緩和ケア外来へ行った。緩和ケア病棟への予約をして、順番待ちとなった。予想通り、何人待っているかは教えてもらえなかった。それを知ったところでいかに意味がないかを聞かされた。当然いつ空くのかはわからないし、4~5番目でも10数番目でも変わりないそうだ。「空きました」という電話をすると、今は調子を持ち直したのでキャンセルする、という人もいるし、以前の病院へ今入院中で今は動かせないという人もいる。当然、もう亡くなっている人もいる(これはおっしゃらなかったが)。2週間くらいで、連絡できるかもしれないし、ひと月以上経ってからかもしれないと言われた。今年中はまず無理だろうと言われた。そこで推察すると、最低4~5人はいる、20人はいない、といったところか。病棟見学のときに2部屋空いていた。空きが出ると、翌々日に入院して欲しいという連絡をするそうなので、昨日もしくは今日空いたのだろう。さらに、今日もう1部屋空いたようだ。(急に患者さんで手が離せなくなってということで、予約時間から約1時間遅れた。病棟の家族控え室が使用中になっていた。という2点からの推察。危なくなって、持ち直したのかもしれないが。)余命1~2ケ月の人ばかりだから、入れ替わりは激しいと思う。

緩和ケア病棟は、リニューアルされて明るくてこぎれいだった。調理器具がそろっていて自分でも調理ができるデイルーム、家族控え室、家族用のトイレや浴室がある、病室はすべて個室、などを除いては、普通の病棟と変わらない。病室内はソファーベッドは2つある点を除いては、普通の個室と同じだ。でも、なんだか洗練されていない。緩和ケア病棟ばかりではない。他のところも全体にそうだ。ここで父は最期を迎えるのか、と思うとちょっと侘しい気がした。今父が入院している病院の設備があまりにもすばらしいので、どこへいっても貧弱に思える。まあ、しかたがない。緩和ケア病棟は、24時間いつでも出入りは自由だ。面会時間はない。もっとも夜中に行ってもほとんどの病人は寝ているだろうが。

緩和ケアの医師も、看護師さんたちも、暖かい、いい人たちのようだった。人は今の病院と同じかな?だといいけど。

妹と話して、12月27日に父を家へ引き取ろうということになった。年末年始は妹もけっこう時間を割いてくれそうだ。明日、主治医とケアマネージャーに話そう。


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看護学校の学生さんが実習に来ている。12月3日から3週間の実習期間ずっと父に1人付いてくれている。前回の入院の時も、1人が2週間、もう1人が3週間、計5週間付いてくれた。実習生はよく世話をしてくれるので、助かる。前回のときは、父はまだ自分のことは自分できたが、今回は何もできない状態なので、なおの事ありがたい。一生懸命に世話をしてくれる。心から患者のためを思ってくれていることがよくわかる。二十歳そこそこの若い人が、よくあれだけ慈愛の心を持って、人に尽くすことができるものだ。本当に感心する。父もずいぶんわがままになっているのに嫌な顔一つせずに世話をしてくれている。私にはとてもできない。その様子を見ていると、家へは引き取ることはできないと思ってしまう。


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今日も私が病院へ着く少し前に家へ電話してきたそうだ。私はまだかと。私が行く時間を覚えているのか?行ったら、飛行機をなんとかしないかんと言った。家に、金魚と青蛙がいてその横に本物の飛行機があるそうだ。「どうやったらいいのか、わっかれせんで、なんとかしとくれ。」「わかった。何とかしとくからいいよ。」そう言うと安心したようだった。

10年ほど前に父が通っていた写真教室で自分の作品として毎週提出した写真をまとめたものを持っていった。それを見ているときはとても正常だった。内容もよく覚えていた。4冊あるうちの1冊だけ持っていったが、これなら他の3冊も持っていこう。これらの写真は、1枚ずつが、たくさんの同じような写真の中から選りすぐったものだ。それだけに思い入れも深いのだろう。

医師は、そろそろ父を自宅へ引き取って欲しいようだ。時間が合わず、直接話はできなかったが、婦長さんから、先生がそう言っていると言われた。退院させると言われてからもう2週間が過ぎた。長期入院できる病院ではない。このままにしておいて、病院から直接次の病院へ行くか、次の病院の前に一旦自宅へ引き取るのか、そろそろ答えを出さないといけない。婦長さんは、無理をしなくていいとおっしゃってくださった。月曜日に次の病院の外来なので、キャンセル待ちの状況など聞いてから決めよう。あまり長そうなら、一旦家へ引き取り、それほど待たずに入れそうなら、このままにしておこう。

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仕事の帰り、6時くらいに病院へ行ったら、病室にいなかった。ナースステーションだと思ったらやはりそうだった。起きているときは危ないので、車椅子に乗せて、ナースステーションに連れていってくれる。他にも父と同じようにボーっとした人たちin車椅子が、ナースステーションにはいる。ちょうど今から廊下を一周しようと思っていたと言って、渡された。病室へ戻った。今日はおかしいことは言わなかった。疲れているようで、よく目をつむっていた。何か言う元気もないようだった。口が渇くようで水をほしがるので、スプレーで潤した。頻繁に欲しがった。
今日から、パジャマは病院のレンタルだ。痰でいつもよごれているで洗濯がたいへんだし、なかなか乾かないときもある。年中同じ生地なので、見た目寒そう。

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午後2時くらいに病院へ行ったら、胃ろうに食事を入れているところだった。実習生が2人ついてくれていた。入れ終わったら、まあまあ元気で、またわけのわからないことを話していた。「日比谷公園」とポツンと言った。私を見て、「マツガエ公園へお前が引きずられて行ったが、だいじょうぶか?」と言った。また、「アユ」と言って、酸素を測定している機械に手を伸ばして手に持って、付いているコードを引っ張った。どうやらアユ釣りをしていたようだ(笑)。よくアユ釣りへ行ったからなあ。シーズンには毎週のように行っていた。「日比谷公園」は東京に住んでいた若い頃のことが頭に浮かんだのかもしれない。昼間の方が、よく話す。夕方は疲れているのだろう。
11月分の医療費の請求書が来た。10日間分。17~8万円かな?(今年は3割負担なので)と思ったら、なんと「3,120円」!内訳を見ると3,120円は食事代だった。ならば医療費はただ??寝たきりになったら(3ケ月間以上だそうだ)申請すれば医療費はただになると、以前にケアマネージャーがそんなこと言っていたのを思い出した。病院でやってくれたようだ。

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夕方6時頃に病院へ行ったら、携帯電話をにぎって寝ていた。私を見てうれしそうだった。後から知ったのだが、5時頃家へ電話をかけたそうだ。私が何時に来るかを聞いたそうだ。そんなに待ち遠しかったのか。その割には、私の顔を見て、すぐに寝てしまったが。昨夜、動くとナースコールが鳴るセンサーを自分でオフして、ベッドから降りて床に座っていたそうだ。2日連続で夜中にベッドから降りたことになる。夜中に目覚めると寂しいのだろうか。そういえば、家でもそうだった。目覚めるとまず母を起し、母が私を呼んだ。「まだ、夜中だよ。もう一度ねよう。」というと、うなづいた。もし落ちて頭でも打つとたいへんなので、手を縛らせてもらっていいかと聞かれた。もちろんどうぞと言った。手袋のようなものをかぶせるようだ。隣のベッドの人がそうだった。
最近血圧が低い。ずっと高血圧だったのがうそのようだ。これも弱ってきたせいか?血管にももう力がないのか。

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父が昨夜のうちにベッドから落ちて、朝8時頃ベッドの横の床の上で発見されたそうだ。特に問題はなかったようだ。動くとナースコールが鳴るセンサーをつけてあるが、スイッチがオフになっていたそうだ。そういえば、昨日の夕方私がいるときに、車椅子へ移動するときオフにしていた。そのままだったのだ。よくあることだ。私もやってしまう。

夜8時半頃、父がまた電話してきた。「絵でトラぶってどうにもならん。」と言う。「今オレは○○(聞き取れない)におる。」近くで看護師さんらしい声が、「病院ですよ。」と言う。よかった。看護師さんがいてくれる。笑えた。
父「なんとかしなかんけど、どうしよう?」
私「わかった。こっちでなんとかするからいいよ。」
父「ほうか?」
私「うん、だいじょうぶ。」
(看護師さん「もう、寝ましょうね。」)
私「だいじょうぶだから、もう寝ていいよ。」
父「わかった。」
そこで電話が切れた。それで落ち着いて寝てくれたかな?
幻想?最近はこういうことが多い。


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午前11時頃に、なんと父が携帯で電話してきた。「B子(叔母。父の実の妹)は、在所(ざいしょ。実家のこと。名古屋地方の方言。)へ、行かなかん。(つまり我が家へ来なきゃってこと?)」「C子(妹)のとこで、○○(聞き取れない)をしなかん。場所はわかるか?」この2つには適当に相槌を打った。そして「アミーは無事か?」「だいじょうぶだよ。アミーは元気だよ。」「よかった!」本当に安心したように言った。昨日の「黒幕がアミーを利用しようとした。」「だから黒幕をやっつけた。」話とつながっているようだ。すっかり安心したのかそれで電話を切った。
午後3時半くらいに病院へ行った。グーグー寝ていた。父についてくれている実習生が来てくれて、先ほど、Dさんという方がみえましたと言った。2年前にこの病院へ入院中、病室がいっしょだった人だ。父と気が合って、その後も連絡をとりあっている。実習生は、「でも、おわかりにならなかったようでした。」と言った。やはりそうだったか。せっかく来てくださったのに申し訳ないことだった。でもしかたがない。Dさんもわかってくださるだろう。メールを出しておこう。今日は父は落ち着いていたようだ。午前中の電話のときは、実習生もいたときだったそうだ。電話したいと言ったので、電話を渡してくれたようだ。電話して気持ちが落ち着くのなら、それがいい。実習生が、ご兄弟は何人みえるんですか?と聞いたら、5人と答えたそうだ。おもしろい。正常な状態なら、3人、あるいは、4人だったが、小さいときに1人は亡くなっているから、3人のようなもの、と答えただろう。でも、5人は正しいのだ。父が1人認めていなかっただけだ。実は心の中では認めていたのかもしれないと思った。その人ももうとっくにあの世へ行っている。父より10歳ほど年上の兄だ。今、ひょっとして、お祖母さん(父の母親)とその人が、あの世から、父に話しかけているのかもしれない。先日、仏壇からお祖母さんの声が聞こえたような気がした。私が、「なんとか父の苦しみを取り除いて下さい。元気でもう少し生きられますように。」と手を合わせたときのことだった。「それはもう、しょんないって。」というお祖母さんの声が聞こえた。父の生き様を指していると思った。人は生きてきたようにしか死ねないという。父が今これほどの苦しみを味わっているということは、それなりに、人に苦しみを与えながら生きてきたということだろう。
よく寝ているので帰ろうと思ったら、ゴホンゴホンと咳をし出して、痰を吐き始めた。そして「起きる」と言い出した。実習生に起こしてもらって車椅子に座らせてもらった。起きると、やはり痰がすごい。今日はアミーのアルバムを持っていったので、見せた。自分でパラパラとめくって、うなづいた。しばらくアルバムを置いておこう。帰らなければならない時間となった。看護師さんも来ていて、看護師さんがナースステーションへ行きますと言った。車椅子のときは1人にしておいては危ないので、いつもナースステーションへ連れて行ってくれているようだ。途中、またアミーと言った。アミーちゃん、元気だよというと、うれしそうにうなづいて、「呼吸を合わせるのはいいけれど、気をつけなかん。」と言った。黒幕の話の続きらしい。明日と明後日は、私は来れないから、妹が来るというとうなづいた。


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今日はめずらしく午前中に病院へ行った。今日は調子が悪くて、すぐに横になりたがったそうだ。相変わらず苦しそうで、痰も多い。甘いものが食べたいと言ったそうだ。食べることはできないので、オラルケアのジェル使ったら、おいしいと言ったそうだ。ジェルには甘味がついている。そのジェルはICUブラシについていたサンプルだったので、さっそく売店で買ってきた。私が売店へ行っている間に尿意を催したようだが、尿瓶をあてても出なかったので、チューブでとってもらった。寝た状態では出ない。立った状態じゃないと出ない。家にいるときはまだかろうじて立てる状態だったのでよかったが、今はもう立つことなんてできないからしかたがない。その後、体を拭いてパジャマを着替えさせてくれた。痰で汚れたシーツも取り替えてくれた。病院はありがたい。また、今は実習生がついてくれていて、普段よりもよく世話をしてくれているので助かる。車椅子に座ると言ったので座らせてもらった。「アミー」と言った。アミーに会いたいのだ。残念ながら病院では犬は連れて来れない。「黒幕がアミーを利用しようとした。」「だから黒幕をやっつけた。」そんなことを言った。携帯の待ちうけ画面のアミーを見せたら、「アミーだ」と言った。わかるのだ。12時過ぎたので、「あばあさんのお昼をやらなきゃいけないからもう帰るね。」と言ったら、うなづいた。


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今日は、国立病院機構名古屋医療センターの坂(さか)英雄先生にセカンドオピニオンを聞きに行った。
セカンドオピニオンで最も聞きたかったことは、これ以上治療する方法は本当にないのか、座して死を待つしかもうないのかということだった。結果は、残念ながらその通りだった。
(と思ってしまったのですが、私が誤解していました。私は積極的な治療と緩和治療を同次元のものとしてとらえることができませんでした。積極的な治療はもうしない方がいい=死を待つ、と考えてしまいました。その上で、死を待つ間に苦しみを柔らげるのが、緩和治療だと思っていました。坂先生がこの記事を読んでメールでくださったコメントをそのまま書きます。
「がんと正面切って闘うという積極的な治療が、却って患者さんに不利益をもたらす可能性が高い場合、患者さんの症状を軽減することを目標にする、「緩和医療」という治療法を今まで以上に前面に押し出すことが大切であると申し上げたかったのです。治療法が無くなったのではなく、 緩和治療という立派な治療法に治療の主軸を移してはどうかという提案をさせていただいたという気持ちです。」)
1つだけ新薬があると言われた。タルセバ、2007年10月に認可されたばかりの薬だ。(参考URL1参考URL2)ただ、まだ投与例が少なく、効くかどうかはわからない。現在の体力の無い状態では、逆に命を縮める可能性の方が高いかもしれないと言われた。また、イレッサと同じく、今まで喫煙したことのない人に有効であろうとも言われている。それならリスクを負ってまで投与はしない方がいい。腺癌の人にはいいようだ。これでイレッサが効かなくなっても、次の薬があるということだ。でももっと投与例が増えないとはっきりしたことは言えないようだ。

今まで父が受けた治療法は、間違ってはいないと言われた。まず、効力の高い、白金製剤をベースとした抗がん剤を投与し、合わせて一番一般的な放射線治療、リニアックを平行して行った。ずいぶん時間がたってから再発してきたので、以前によく効いた白金製剤をベースとした抗がん剤を再度投与した。それが効かなかったので、白金製剤をベースとしない抗癌剤に変えた。(ただ、再発に関しては標準的な治療ではないそうだ。一次治療で白金製剤の抗がん剤が使われている場合の再発では、Ⅳ期の非小細胞肺がんに準じて行われるので、ドセタキセル、イレッサ、タルセバの単剤の治療ということになるそうだ。)
もちろん、抗癌剤は投与したもの以外にも何十種類もあるが、いろいろ変えて試すことができるのは、患者の体力があるときだけ。父のように、歩行までも困難になったり認知症が出たりしている場合にはこれ以上他の抗癌剤を投与できない。以前に主治医からも聞いていたことだ。

父が11月初めから急激に衰えたのは、年齢が関係しているようだ。確かに79才では、病気が出なくても、体力が衰えてきて歩くのが遅くなったり、忘れっぽくなったりするのは普通だ。その上に癌を持っていては、さまざまな症状が起きてもおかしくはない。癌の大きさ自体は以前と比べて変化はなくても、体力の衰えに乗じて、癌が悪さをしていっているようだ。父の中の癌と闘う力と、悪さをしようとする癌の力とが押し合っていたのが、父の力が弱ってきたために、癌の力を押しとどめることができなくなったのだ。例えば、川の堤防がちょっと水が漏れ始めると、一気に決壊してしまうのと同じだ。

セカンドオピニオンを聞く時には、病状やそれまでの治療の経過を記載した主治医からの紹介状と、CT、レントゲン写真などの画像データを持っていく。2007年8月23日のCT画像を見て、この時点で心臓のそばに水も溜まっている、と言われた。その頃はリンパ節から食道へと癌が浸潤していることがわかった頃だ。そういえば、その頃から父の体調は悪かった。「えらい、えらい(疲れる、辛い、苦しいなどを表す名古屋地方の方言)」と常に言っていた。そうか、その頃から徐々に癌の力が父の力を上回り始めたのだ。川の水がどんどん増水し始めたのだ。そして、11月初めからチョロチョロと水が漏れ始めて、11月21日(血痰が止まらなくなって救急車を呼んだ日)、とうとう決壊したのだ。血痰は、気管支に癌が直接顔を出してきたことが原因になっているのではと推測されるそうだ。血痰がかなり出たということは、癌細胞の力が相当強くなったと言えるようだ。

話を聞きながら、少しずつ自分の中で納得していった。確かに主治医とほとんど同じことを言われたにすぎないと言えばすぎない。でも、第3者の医師によって、それも肺がん治療の専門家として有名な先生によって、これまでの治療が特に間違いではなかったことがわかったことはよかった。父は確かな治療を受けることができたのだ。それまでは、ひょっとして別の方法があったのでは?別の病院の方がよかったのでは?という疑問もあった。それが払拭された。

これからは、本人の苦しみをできるだけとってあげることだけを考えた方がいいと言われた。(セカンドオピニオンで、2番目に聞きたかったことは、このこと、つまり「しゃっくり」のことだ。)今の父の体調の悪さには、しゃっくりを抑えるための薬の副作用ももちろんあると言われた。「リボトリール」と言ったら、かなり強い薬だと言われた。やはりそうか。服用できる限度まで服用しているから、副作用の体のふらつきや脱力感があるのだ。しかもしゃっくりの薬は「リボトリール」だけではない。名前はそのとき忘れていたが(1つはリオレサールだった)、他の種類の薬も服用している。でもそうしないとしゃっくりが出っぱなしになる。そうしていてさえ、激しく咳き込んで痰を吐くのが収まっているときは、しゃっくりが出ている。(激しく咳き込んで痰を吐くときは、のどが舌を引っ張ったと同じような状態になるので一時的にしゃっくりが止まるのだ。つまりそれほど激しく咳き込んでいるのだ。) しゃっくりにしろ、咳き込みしろ、あまりにも苦しいので、なんとかなる方法はありませんかと聞いたら、しゃっくりが出る原因が、腫瘍の位置が悪くて横隔膜の神経を引っかけているのなら、難しいと言われた。そして、しゃっくりや咳を緩和するためには、本人をボーっとさせる方法もあると言われた。そうすれば、人から見たら苦しそうでも、本人はそれほど苦しいと感じないそうだ。最近ボーっとしているのは、もしかしたら、もうその薬を服用しているのかもしれないと、ふと思った。それならそれでいい。本人さえ苦しんでいなければ。麻薬を使うこともできると言われた。そうか、そんな方法があるのだ。よかった。とにかく方法があるとわかって、ちょっとほっとした。また痰の量がとても多いことも言ったら、痰については、吐き出す力がなくなったら、のどに小さな穴を開ける方法もあると言われた。そんな方法もあるのだ。

今後の事も話が出た。緩和ケア病棟の外来予約をしたことを話した。外来へ行ってから実際に病室が空くまでには1~2ケ月かかる。その間、自宅で介護するつもりであり、そのために要介護申請したことを話した。在宅診療、在宅看護、在宅介護などフルに利用しても、かなりのマンパワーがいると言われた。私が1人で、この父と、要介護2の状態の母を面倒みると言ったら、それはたいへんだとなった。でも、本人のためには少しでも家で過ごさせてやった方がいいとも言われた。難しいところだ。これについては、もう少し考えよう。

「よくわかる肺がん」[西日本胸部腫瘍臨床研究機構(WJTOG)発行]というハンドブックを坂先生から、いただいた。今年3月に発行されたものだ。坂先生も執筆者のお1人だ。肺がんに関する様々なことが、わかりやすく書いてある。とてもいい資料だ。癌を宣告されてすぐにこんな資料にめぐり合っていたらよかったと思う。ネットでもかなりの情報を得られるが、やはり1冊の本になっているほうがわかりやすい。
ちなみに、私はネットでは、このハンドブックにもURLがあるが、がん情報サービスを一番よく利用している。

セカンドオピニオンでは、聞きたい事は聞けた。聞きに行ってよかった。やることはやったと自分に言い聞かせることができた。

ただ、セカンドオピニオンを聞く時期としては、この末期よりも、もっと早い時期の方がいいと思う。癌が発覚して、病院を決めて、治療方法が決まったとき、つまり治療を始める前がいいと思う。なぜならば、癌の治療と言うのは、患者にとてもダメージを与えるので、本当にこの治療でいいのかを十分に検討に検討を重ねた方がいいと思うからだ。治療を始める前ならば、まったく別の治療に変更することもできる。治療は始まってしまったら、もう後へは戻れない。このブログを読んだ人で、まだ治療を始める前の人だったら、是非、安易に「それでいいです」と言わずに、「セカンドオピニオンを聞きたいです」と言ってほしい。




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今朝、E病院へ電話して、緩和ケア病棟の予約をした。12月17日15:00。14:30から病棟見学にした。先方がこちらが持参した資料に目を通す時間が30分必要なので、30分前に行く必要がある。なので、書類を提出してから30分待つ間に見学することにした。どこの緩和ケア病棟も、このように外来予約に行ってからしか施設の見学ができない。予約する前にいろいろ見学してから、どこへ行くのかを決めたいと思うのが普通じゃないのだろうか?そのうちにこれは改善されるだろう。
夕方、仕事の後、病院へ行った。たまたま担当の医師にエレベーター内で会ったので、緩和ケア病棟を予約したことを伝えた。紹介状を書いてくれると言った。「ゆっくりでいいですから。外来の前日までにFAXすればいいそうです。」と言っておいた。明日のセカンドオピニオンの紹介状と画像資料はギリギリにお願いして急がせてしまった。また区役所の介護度の書類作成も役所から急かされているはずだ。3つ立て続けで申し訳ない。大勢の患者がいて、とても忙しいのに。
セカンドオピニオン用の紹介状と、CT画像が入ったCD-ROMを受け取った。第3者の医師の意見を聞くのは初めてだ。楽しみだ。
今日は、父の実の妹である叔母と従妹2人が父の見舞いに来てくれたようだ。寝巻きとメモ用紙が置いてあった。残念ながら、父はまったくわからなかったようだ。私が行ったときにも、人が来たとは一言も言わなかった。先日もそうだった。後から叔母に電話したら、目もうつろで、名前を名乗っても、誰が来たのかわからなかったようだった、と言っていた。実の妹だから、子供の頃でも思い出すかな?そうすれば、認知症の症状が緩和されるかな?と思っていたが、無理なようだ。残念。せっかく来てくれた叔母と従妹たちにも申し訳なかった。
看護師さんが、今日は変なことを言うことが多いと言っていた。私がいたときも、「今日は経理までやったから疲れた。」と言った。それほどひどくなっていかないといいが。

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今日はおだやかに過ぎた。妹が病院へ行ったが、病院内を車椅子で散歩したそうだ。28日のときよりも、父の様子はよかったそうだ。
応接間がこれから父の部屋となる。父の介護ベッドを置く場所をケアマネージャーと決めたそうだ。エアコンの位置で決まったようだ。トイレやテレビなども置かなければ。まるで病室だ。母の部屋もベッドとトイレとテレビが置いてある。我が家はミニ病院のようだ。


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