肺がんの父をもっていた管理人です。がん発覚から死にいたるまでを書きました(2008年2月1日死亡)。また脳梗塞の母のことも少し書いていましたが、2008年9月2日、母に大きな変化がありました。そして、2009年6月25日亡くなりました。簡単ですが、その間のことも書きました。
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なんとなく、またウトウトしていた。ふと気がつくと父の息遣いが優しくなっていた。看護師さんが2人来て父の体に触っていた。今までより長く触っていた。どうしたのですか?と尋ねると、脈が弱くなってきたと言う。時計を見るとちょうど0時。2月1日になった。従妹が先ほど「意地でも日にちが変わってから」と言った言葉が思い出されて、こんなときになんだが、笑えた。そうか、もう少しなんだと妙に冷静に思った。看護師さんたちは、また来ますと言って出て行った。

10分くらい、ボーッとしていた。そうだ!こんなことをしていられない。妹を呼んだ方がいいのかな?看護師さんに聞こうと思って、ナースステーションへ行ったが、誰もいなかった。廊下に最近友達になった別の部屋の人がいた。どうしたのですか?と聞くので、話すと、今うちが処置してもらっているので、終わったらそちらの部屋へ行くように言うと言ってくれた。お願いして部屋へ戻った。少し経って看護師さんが来た。妹を呼んだ方がいいかと聞くと、その方がいいと言った。さらに、他に呼びたい人があったら呼んでください、もう少しです、と言う。
私「先生は?」
看護師さん「いえ、このまま見守るしかないので。」
私「ということは、このまま亡くなるまで待って、それから先生を呼ぶのですか?」
看護師さん「はい、そうです。」
そうなのか。私は先生がかけつけてきて、いっしょに見守って、亡くなったときにすぐ確認して「ご臨終です」とかなんとか言うのかと思っていた。

叔母も知らせて欲しいと言っていたので、妹にメールした後すぐに叔母に電話した。息詰るような時間だ。私は父に、もうすぐ叔母と妹が来るから、がんばってと言った。もちろん何の反応もなかった。小さな息遣いが聞こえるだけだった。

看護師さんは、少し経ってまた来た。手足の色が変わってきたと言う。見ると暗い色だ。血液が手足の先まで届かなくなっているようだ。触ると少し冷たくなってきた。

叔母と従妹が来た。叔母は来るなり父を見て「ほんとだ。さっきとぜんぜん違う」と言った。少し経って妹が来た。1時10分。「やっぱり、日にちが変わったね。」「2月になったね。」誰ともなく言って、少し笑いが出た。

その後はシーンとなって、4人で父を見守った。次第に息遣いが弱くなっていった。さらに小さく、弱く・・・・・従妹がもう酸素マスクははずしてもいいんじゃないかと言った。彼女の仕事は看護師だからわかるのだ。でも担当の看護師さんを呼んではずしてもらった方がいいんじゃないかとも思った。従妹は私の好きにしていいというので、ナースコールした。看護師さんが来て、酸素マスクをはずした。それから2~3回かすかに息をして、そして止まった。あっと思った。人が亡くなった瞬間だった。1時43分。従妹が「楽だね。肺癌患者は最後本当に苦しむから。こんなに楽な人はいないよ。」彼女は、看護師として多くの肺癌患者の最期を見ている。その言葉に救われた。涙があふれてきた。みんなも泣いた。看護師さんが、先生を呼びますね、と言って出て行った。やがて、医師が来た。「当直の○○です。」一礼して、父のまぶたを開けて目を見て、聴診器を心臓に当てた。「死亡確認しました。1時55分です。」と言った。2008年2月1日1時55分、これが父の死亡した時刻になった。
79才4ケ月の人生だった。とても安らかな最期だった。終わりよければすべてよし。





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