肺がんの父をもっていた管理人です。がん発覚から死にいたるまでを書きました(2008年2月1日死亡)。また脳梗塞の母のことも少し書いていましたが、2008年9月2日、母に大きな変化がありました。そして、2009年6月25日亡くなりました。簡単ですが、その間のことも書きました。
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背中から針を刺し、水を抜けるだけ抜いた。100cc以上抜いたそうだ。無事に他の臓器を傷つけることもなく抜けた。よかった。医師の腕がいいようだ(緊急外来の医師は、この状態の体から他の臓器を傷つけずに水を抜くのは難しい、と言っていた)。しかし水というよりは膿だった。ドロドロの濃い緑色の、見るだけで気持ちの悪いものだった。こんなものがたくさん肺に入っているなんて・・・・・抜けきったわけではない。また増えてくるだろう。でも当面はよかった。

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夕方、携帯へ主治医から電話がかかってきた。何事だろうと驚いた。
胸膜炎の炎症が再び起こってきたそうだ。抗生物質を再び投与すれば治まるだろうが、根本的に治療できない以上同じことを繰り返してしまう。そこで、現在少し元気なので、水を抜くのをやってみると言う。もちろんかまわない、お任せすると言った。リスクを負うのは仕方がない。このままにしておいても、同じだ。

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今日から食事がレベルアップした。「嚥下食Ⅱ」から「嚥下食Ⅲ」に。
「嚥下食Ⅱ」は、すべてミキサーにしたものがゼリー状になっていた。
「嚥下食Ⅲ」は、ごはんは全粥。おかずは、ミキサーにしたものをゼリー固めてある点で変わりはないが、羊羹状だ。多少噛み応えがあるものになっている。また、スープ状のものも1品ある。量も多い。
しかし、かなり残してしまったので、量は以前といっしょでもいいと思った。
なにはともあれ、レベルアップしたのはうれしい。


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施設が空くまでの間、どこかの病院を紹介してくれるように、主治医に頼んだ。大きな病院はソーシャルワーカーがいて、そういうことをやってくれる。ソーシャルワーカーは医師の指示で動くそうで、主治医にまずお願いするべきだそうだ。在宅介護時お世話になったケアマネージャーに相談したら、そうするのが一番いいと教えてくれた。さらに、もし病院が動いてくれなかったら、ショートステイなら常時空いている施設があるので、そういうこところを転々としながら、施設の空きを待つこともできると教えてくれた。ケアマネージャーはありがたい。本当なら、在宅介護状態ではすでになくなっているので、ケアマネージャーを頼るのはおかしいのだが、親切に情報を提供してくれる。


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水を抜けないまま抗生物質の治療が続いた。幸いなことに、しばらくしたら食欲が少し出るようになり、多少元気になってきた。ゼリー状の嚥下食を、半分から多いときは8割くらい食べるようになった。よかった。そのため栄養点滴はなくなった。また、鼻からの酸素もなくなった。

抗生物質の投与も終わるという。抗生物質は、長期にわたって投与すると効かなくなってしまうそうだ。一旦炎症としては治まったのでやめるそうだ。水は抜けていないので心配だがしかたがない。

こうなると、いわゆる「安定した状態」となり、退院してほしいと言われた。地域の救急指定病院ではしかたがない。

以前した施設へ連絡をとったが、もちろんすぐに戻れない。また、母の状態は以前より悪いため、以前と同じフロアには戻れないそうだ。世話がかかる状態の人は受け入れ人数も少ない。キャンセル待ちが長くなる。


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