肺がんの父をもっていた管理人です。がん発覚から死にいたるまでを書きました(2008年2月1日死亡)。また脳梗塞の母のことも少し書いていましたが、2008年9月2日、母に大きな変化がありました。そして、2009年6月25日亡くなりました。簡単ですが、その間のことも書きました。
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昨日25日に予定通り転院した。その日は特に母の様子は問題なかったと思った。ところがなんと転院先でのその日の血液検査で、また炎症がひどくなっていることがわかった。今日夕方行ったら、点滴をしていたのでただごとではないと思ったら、「家族の方へ。医師から説明したいことがあるので、ナースステーションへ来てください。」と書かれた紙が収納棚 の扉に貼ってあった。すぐに行くと、そう説明された。白血球が19,000(通常値4,000~9,000)、CRPが17.3!!(通常値は0.3以下)。CRPというのは、炎症や組織破壊が起きると血清中に増加するタンパク質のことだ。骨折したときに1.7、膀胱炎がひどいときに6.3だった。ちなみに肺がんだった父が最後の治療中に15.1だった。17.3とはとんでもない数字だ。医師からは、前の病院の医師とも相談しながら以前よりもっと強い抗生物質を投与すると言われた。前の病院へ戻っても、治療は同じだそうだ。これ以上水(膿)を抜くことができないので、抗生物質を投与しながら安静にしているしかない。「もうだめかもしれない。覚悟はしておいてください。」と言われた。もう3月13日に緊急入院してから覚悟はできているので、驚かなかった。しかし、水(膿)を少し抜いてから少し調子がよかっただけに(だから転院になった)、結局ダメかとちょっとショックだ。いずれまた悪化するとはわかっていたが、転院してその日に悪化とは予想していなかった。


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ワーカーの方から電話があり、25日転院と決まった。朝10時出発だ。介護タクシーも手配してくれると言う。

母に言ったら、どこの病院だって?と言う。前にいたところだよ、と言ってもよくわからないようだ。


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主治医からは、またもう転院してもいいと言われていた。施設の空きが出るまでの当てがないと言うと、ワーカー(病院のソーシャルワーカー)通じて転院先を探してくれると言った。そのワーカーの方と打ち合わせだった。

これまでの経緯を話すと、以前骨折で入院していた病院が受け入れてくれたらそれが一番いいということになった。空きを待っている施設は、その病院と同じ医療法人の経営だからだ。その場で病院の師長さんに電話してくれた。師長さんは母のことを覚えていたようだ。1度家族受診してほしいとなった。どうやら病室の空きはあるようだ。

さっそく夜の診察時間にその病院へ行った。私が行って診察券と保険証を出して説明しようとしたら、、受付の人はもう仔細わかっていた。看護師さんたちも、「お久しぶりです。」と笑顔だ。小さい病院(12部屋32床)なので皆よく覚えていてくれる。先生も覚えていてくれて、快く受け入れてくれた。「2ケ月くらい経って施設がまだ空かなかったら、そのときにまた考えましょう。」と言ってくれた。
入院の書類を渡された。入院の日は今いる病院と打ち合わせをして決めるが、数日のうちだと言われた。

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食事が、「嚥下食Ⅲ」から「嚥下移行食」にレベルアップした。ごはんは、ミキサーではなく多少粒が見える全粥だ。メインのおかずは細かくしてとろみがつけてある。魚とか肉とか見ただけで判別できる。量は半分になっているが、すべて食べると思ったら、家族が介助するときは食べるが、一人だと半分くらい残すようだ。自分で口へ運ぶのが大儀そうだ。


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