肺がんの父をもっていた管理人です。がん発覚から死にいたるまでを書きました(2008年2月1日死亡)。また脳梗塞の母のことも少し書いていましたが、2008年9月2日、母に大きな変化がありました。そして、2009年6月25日亡くなりました。簡単ですが、その間のことも書きました。
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さきほどの記事は、午後叔父夫婦が来たので母を頼んで、私は一旦家へ帰ったときに書いたものだ。家で用事を済ませ、食事も済ませ、夕方6時過ぎに再び病院へ行った。今夜亡くなると思ったが、夜中になるだろうと思って、上着など用意して行った。母の様子はさきほどと変わらない。血圧は少し上がっているようだ。それならば、また持ち直してくれるかもしれないという期待が起きた。しかし、右肺がすでに機能停止している状況を考えるとそれは無理かとも思った。叔父夫婦には一旦帰宅してもらっていて、妹と甥2人がいた。3人に食事に行ってもらった。その間に血圧がまた下がり始めた。でも、まだしばらくいいような気がしていた。3人が戻って、少し経ってからだった。脈拍が落ちてきたのでもう危ない、最後に会わせたい人はもういないかと看護師さんが言いに来た。叔父に電話した。すでに弱くなっている呼吸がさらに弱くなった。どんどん脈拍が落ちていく。19時40分過ぎくらい、脈拍は50を切った。そしてちょっと大きく息を吐いたあと、もう息をしなくなった。その時点ではまだ脈はあった。先に呼吸が止まってしまった。もちろん脈拍は、40、30、と落ちていき、とうとう0になった。医師が呼ばれた。19時57分死亡が確認された。ちょっとあっけなかった。私と妹、甥(母からいうと孫)2人の4人が最後を見守った。叔父はちょっと間に合わなかった。こんなに早いなら、帰ってもらわなかったが、しかたがない。

79才と5ケ月の一生だった。63才若さで多発性脳梗塞が発症してからは、長い間体調の悪い日々が続き、辛い晩年だったと思う。どうかやすらかに・・・・・。


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23日(火)と24日(水)の夕方までは、さしたる変化はなかった。呼びかければ応じたし、手を握ってと言うと握った。脈拍数、血圧、血液中の酸素値なども変化はなかった。尿は1日わずか100ccしかなかった。

しかし、24日の夕方19時頃、最高血圧が80を切った。結局今日(25日)になってもあがらない。それどころか徐々に落ちていっている。最高血圧70台、最低血圧40台だ。また、今日は朝8時頃病院へ行ったが、呼びかけに応じない。手を握ってと言っても握り返さない。尿はほとんど出ていない。苦しそうだ。目を少し開けて、口を開けて、ハアハアと言っている。昨日までベッドの手すりをつかんでいたのに(これは母のくせだ。家にいるときもそうだった。手すりをつかんでいないと落ちていってしまうような感じがするらしい)、今日は両手ともだらんとしたままだ。口が渇いて上あごに痰がこびりついている。酸素マスクから水分が出ているのだが、それでも口は渇くそうだ。ガーゼを水に湿らせてこびりついた痰を少し取った。昨日までは水にしめらせたガーゼを口に持っていくと吸ったが今日はそれもしない。何をする気力も体力もないようだ。

午後1時、最高血圧は68にまでなった。聴診器で音を聞いても右肺は音がしないそうだ。もう機能が停止していて、左肺だけでがんばって呼吸しているそうだ。もう厳しいね。医師は言った。でも寿命はわからないから、とも言った。今まで2回も蘇生したから今度もそうなって欲しいと祈るばかりだ。

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いつもどおり朝食の介助に行ったが、朝食がまったく食べられなかった。薬すら飲めなかった。薬は粉状にしてあり、ヨーグルトに混ぜ合わせてスプーンで食べさせて(飲ませて?)いた。(これは6月14日(日)からこうなった。それまでは、なんとか錠剤のまま飲んでいた。)昨日までは、ゼリーやヨーグルトだけでも少し食べながら、薬入りヨーグルトを時折食べさせていた。それが今朝はできなかった。昼になんとか薬だけ飲ませられたそうだ(昼は看護師さんにお願いしている)。

そして夕食時、やはりまった何も受け付けない。それどころか「苦しい」「苦しい」を連発し始めた。「苦しい」だけではなく「もう逝かせて」「もういい」「頼む」「逝かせて」そんな言葉が「苦しい」の間に混じるようになった。ナースコールした。看護師長さんともう1人の看護師さんがすぐ来てくれた。血液中の酸素値が下がっていた。かなり痰が溜まっていたので、まず痰を吸引し、それから鼻にあててあった酸素の管をマスクに替えて、酸素濃度を上げた。それからも「苦しい」「逝かせて」などが続いた。少し前までは痰をとるとすぐに酸素値が上がったが、今はそれにも時間がかかる。聞いているのも辛い。私は涙をこらえきれなくなった。しばらたって、ようやく呼吸が落ち着いたそれと同時に「苦しい」を言わなくなった。酸素値が上がった。とりあえず一安心。病院をあとにした。

ところが、夜9時半ごろ看護師さんから電話がかかってきた。心電図、血圧、酸素値などはいいが、呼吸がかなり弱い。先生が内視鏡のついた痰の吸引機で、肺の中の痰をできる限り取ったが、それでもよくならない。今夜危ないかもしれない、と言う。病院へ行き、母を見て驚いた。夕方と全然違った。目を半ば開いてハアハアとあごで呼吸していた。でもとても弱い呼吸だ。もう目はうつろだ。苦しいという元気もなさそうだった。まるで、亡くなる日の父のようだった。3時間経っただけでこれだけ変わってしまうのだ。これはもう危ない!そう思った。医師が来てくれた。「これだけ呼吸が弱いとね・・・・できるだけのことはしましたが、(どうなっていくか)わからないです。」皆が声をかけるが反応はない。本当にもうダメなのか・・・・・祈るような気持ちで、1時間2時間と過ぎていった。そして日付が変わった頃、呼吸が落ち着いてきた。声をかけたらうなづくようになった。よかった!

母は結局生命力が強いのか。6月7日に引き続き、「もうダメ」状態をとりあえず脱した。しかし、6月7日のときよりも確実にさらに弱った。

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先週の金曜日(記事を書いた)の後、食欲は少しあったり、なかったりしていたが、今週の木曜日からは、ほとんど食べ物を食べられなくなった。ミキサー食をほんのひと口ふた口食べるだけだ。あとはヨーグルトを少しと栄養補給のゼリーをいくらか。点滴で栄養を摂っているからいいいが、できるだけ食べてほしい。食べられるうちはいいと思えるが、食べられなくなった今は、もう心配だ。また、よく眠っているようになった。目を覚ましているときは、妄想のようなことばかりを話す。

見舞い客が来てくれたときは、わかって話をしたそうだが、後から、誰が来たか、どんな話をしたかなどを聞くと、他のひとや他の事とごちゃまぜになっていて、わけのわからないことを言うだけだった。「Iさんが来た」と言った。でもIさんは、その前日に来ている。来るはずがない。「Nさん?」と聞くと「そうそうNさんだった」という。「それともKさん?」「そうそうKさん」と言う。「帽子でわかった」と言う。「帽子かぶってたの?」と聞くと、「そう、それで、病院に掃除に来ているから、それでわかった。」と言う。認知症も出ているから仕方がない。

炎症反応は、抗生物質が効いて収まってきた。しかし、だからといって、よくなるわけではない。あとは寿命だ。

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今週は、火曜日からけっこう食べるようになっていた。しかし、今朝からまた食欲がない。一週間前と同じような状態だ。心配だ。また同じようになってしまうかもしれない。今度は本当にもうダメかもしれない。

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血液検査。またCRP値が高い。今度は18.0だ。以前の17.3よりさらにひどい。炎症が治まっていたのは、1週間だけだった。

今朝は、朝食には、ヨーグルト、ゼリー、プリンを少しずつ食べた。昼食から食事を出してもらうことになった。

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昨日から、目を開けるのも大儀なようで、食事中も目をつぶっていた。今朝の朝食中もそうだった。なんとか口を開けて少し食べていた。お茶を少し口に入れたら、飲み込む動作をしないまま口を閉じて、すーっと意識がなくなっていくような感じになった。呼びかけてもうつろだった。あれっ?と思って、ナースコールした。看護師さんが来てくれて、大声で名前を呼んだら一応返事をしたが、様子がおかしい、先生に連絡すると言った。血圧、血液中の酸素量、脈拍などはそれほど悪くなかったが、炎症反応を繰り返している最近の状態や、体全体のかなり衰弱している状態などから、あまりよくないと判断したようだ。先生は昼頃来ると言った。少し経って、もう一度看護師さんが呼びかけたら、今度はまったく反応がない。もう一度主治医に連絡してくれて、すぐ来てくれることになった。

主治医は、もう今日危ないかもしれないと言った。心臓の薬などを投与して出来る限りのことはするが、心肺停止状態になったときに、心臓マッサージなどの処置をするかと尋ねられた。私は、本人が苦しい思いをすることはしなくていいと言った。じゃ薬の治療だけで、自然に、ということになった。この点は以前から妹とも相談して決めていた。妹と叔父にすぐ電話した。妹は子供たちも2人連れてきた。叔父夫婦も来た。どうなっていくのだろうと見守った。部屋は個室に替わった。酸素マスクをつけられ、ミリ単位で長時間かけて薬を投与する機械(ポンプというらしい)もついた。重症患者の様子だ。

3時間ほど経過しただろうか。看護師さんが呼びかけたら、返事した!よかった!回復してきた。ほっとした。徐々によくなり、午後見舞い客が来てくれたときには、誰かもわかり、話も少し出来た。夜には、ヨーグルト、ゼリーなどを少し口にすることもできた。朝のことを覚えているかと尋ねたら、覚えていないと言った。

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抗生物質が効いた!5月30日(土)の検査結果で、白血球は正常値に、CRPは、1.7までになった。25日の10分の1にまでなったのだ!よかった。これでしばらく(?)少しの間(?)大丈夫だろう。


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